2025年を振り返ってみる
年の区切りというものは、不思議と心を内側へ向かわせるものですね。
外へ向いていた意識が、静かに自分の中へ戻ってくるような感覚があります。
記事を書く前に、今年撮影した写真を見返してみました。
画面に並ぶ一枚一枚が、ゆっくりと時間を巻き戻していきます。
……色々な所に行ったなぁ。
そう思いながら、しばらく指を止めてしまいました。
見返していく中で、個人的に気に入っている写真を、数枚ほど紹介します。




やはり印象深いのは、宮城県の「潟沼」でしょうか。


あの時は、とにかく暑かったのを覚えています。
写真を見ているだけなのに、照りつける日差しが、じわりと蘇ってきます。
栃木県の「木の俣渓谷」も、心に深く残っています。

水が透き通るほどに綺麗で、ただ眺めているだけで、気持ちが静まっていったのを覚えています。
帰宅してから、その日に熊の目撃情報があったと知った時のことも、自然と思い出しました。
少し遅れて現実に引き戻されるような、そんな感覚でした。
書き出したらキリがありませんが、写真を見返すたびに、その時の思い出が確かに蘇ってきます。
やっぱり、写真はいいなぁ、としみじみ感じます。
今年は、色々な思い出とともに、写真の良さを改めて実感する一年でした。
さて、来年はどこへ行こうか。
まだ見ぬ地元の場所か。
それとも、行ったことのない県へ足を伸ばしてみるか。
さて、どうしたものか。
自然風景との距離を教えてくれる存在
滝や湖といった、いわゆる自然風景を撮影していると、写真の中に人工物が写り込むことがよくあります。
橋や電柱、落下防止の柵やロープ。
人によっては、風景の邪魔だと感じるものかもしれません。
かくいう私も、以前は「邪魔だなぁ」と思っていた一人でした。
けれど今では、それらが視界に入ると、不思議と胸の奥が落ち着くのを感じます。
山道を歩いていると、踏みしめられた道が続いています。
それは、確かに誰かがここを通ったという痕跡です。
その道を見て安心感を覚えるのは、夜に遠くの灯りを見つけて、ほっとする、そんな感覚に、どこか似ている気がします。
迷うことなく、危険に怯えることもなく、目的地へと辿り着ける。
当たり前のようでいて、それはとても幸せなことなのだと思います。
もちろん山に入る場合は、最低限の装備をする必要はありますが。
滝や高台、展望台の周囲を囲む柵もまた、私にとっては心のストッパーです。
目の前に絶景が広がると、もっと近くで見たい、触れてみたい。
そんな気持ちが、ふと湧き上がることがあります。
けれど、その一歩が思わぬ事故につながることもあります。
場合によっては、その場所そのものが封鎖されてしまうこともあるでしょう。
だからこそ、そこに柵があると、私は自然と安心しているのだなと思います。
巡るより味わう旅の楽しみ方
このブログ「風来想記」を始める前から、今までの自分とは少し変わってきたと感じることがあります。
それは、その場所に掛ける時間。
滞在時間についてです。
ブログを始める前も、始めたばかりの頃も、とりあえず気になった場所や景色を、一日のうちにどれだけ巡れるか。
その数が、そのまま満足感につながっていたように思います。
けれど今は、ひとつの場所に腰を据えて、ゆっくりといろいろな角度から楽しむことが増えました。
景色はもちろん、そのときの気温や、ふと漂う空気の気配、耳に届く音。
そうしたものを思い浮かべるだけで、楽しみ方や感じ方がいくつも広がっていきます。

以前の私は、出先の途中で気になった場所へ、とりあえず向かうことが多かったのです。
そう。
とりあえず、でした。
しかし今では、前日のうちに行き先を決めて、そのあと気になった場所に寄り道することは少なくなりました。
その場所について、じっくり調べてから向かうことが増えたのです。
もちろん、気持ちが先に動いてしまい、ほとんど調べずに訪れることもあります。
けれど、ある程度の情報を頭に入れてから行くと、知識としての理解だけではなく、五感で感じる景色もより深く染み込んでくるように思います。
そして気づけば、その場所のことを、前よりも静かに、深く好きになっていました。
遠い場所だと回れる数は減ってしまいますが、それもまた、次に訪れる理由として残しておけばいい。
そう思うようになった自分の旅を、これからも静かに積み重ねていこうと思います。
旅先でここだけは寄っておきたい場所はありますか?
旅の途中、ふと時間が空いたとき。
皆さんには、「ここだけは寄っておきたい」という場所がありますか?
私にとって、それは道の駅です。
観光サイトに載っていないような発見が道の駅にはあります。
敷地の入り口に立つ、大きな看板。

その土地ならではの名所や特産品が描かれていて、まるで小さな観光案内所のようです。
建物の中に入ると、地元の野菜や果物、特産品を使った手作り加工品のほか、民芸品のような工芸品も見られます。
さらにご当地グルメまで揃っていることも少なくありません。
私は旅をするとき、行き先こそ決めてはいるものの、細かな計画はほとんど立てないタイプです。
だからこそ、道の駅にある情報や出会いが、旅の流れを自然に導いてくれる。
特産品は、見ただけで強く記憶に残ります。
「知識」としてだけでなく、「体験」として心に刻まれる。
手に取って、目で確かめて、ほのかに漂う香りに季節を感じ、時には味わって、その土地を五感で知ることができます。
もう一つの魅力は、人との出会いです。
地元の方や、同じように旅をしている人と、自然に言葉を交わせる場所でもあります。
ちょっとした会話の中から、地元の人しか知らない穴場スポットや、旬の味覚の話を聞けることもある。
紙の地図やスマホでは出会えない、旅人ならではの生きた情報。
それが、旅の彩りになります。
だから私は、見知らぬ土地を訪れるとき、道の駅があれば必ず立ち寄るようにしています。
いや、「立ち寄らずにはいられない」と言った方が正確かもしれません。
道の駅。
そこは、旅の途中で得られる 小さな発見と、大きな出会いの交差点のような場所です。
時間が足りない旅 たった一日…それでも旅は続く
たった一日…それでも、旅は続きます。

一日だけの休みは、どうしてこんなにもあっという間に過ぎてしまうのでしょうか。
朝9時頃、エンジンをかけて新潟を目指し走り出しました。
知らない道を走っていると、自分の世界が少し広がったような気がします。
初めて見る景色が次々と現れるたび、胸が高鳴ります。
やがて時間が過ぎ、帰らなければいけない時刻が近づいてくると、新しい風景を見終えた満足感の裏側で、ふとこんな思いがよぎります。
「もう少しだけ、この時間が続けばいいのに」
あの時の滝の音を、もっと長く聞いていたかった…。
もう少し先まで、ほんの少し遠くまで行きたかった…。
のんびりしたい気持ちと、もっと先へ進みたい気持ち。
そのふたつが、頭の中で静かにせめぎ合います。
それでも結局は、帰宅時間のことを考えて自分に言い聞かせます。
「今日はこの一枚で十分だ」と。
そしてバイクにまたがり、帰り道へとアクセルをひねります。
胸に残るのは、ほんの少しの悔しさ。
そして、「もっと先へ行きたいな」という小さなワクワクです。
旅の時間は短かったけれど、そこで出会った風景や音、心が動いた瞬間は、たしかに今の自分の一部になっています。
きっとまた新しい景色に出会うために、再びエンジンに手が伸びるのでしょう。
その瞬間から次の旅が始まり、新しい一歩と出会いのきっかけをくれるのだと思います。
※この旅は、実際に訪れた日から一ヶ月ほど経って綴ったものです。
記憶の中で静かに色づいていった旅の記録として、残しておきたくなりました。
忘れられない一枚の風景写真
一年ぶりに、今パソコンに向かい文章を書いています。
ゆっくりとですが、こちらのブログも続けていけたらと考えています。
ふと、これまで撮りためた写真を整理してみました。
その中で、ふと目に留まった一枚の写真がありました。
懐かしい記憶が静かに蘇る写真です。
バイクで初めてソロキャンプをしたときの一枚です。

静かに、あの日の思い出が蘇ってくる。
(福島県・曽原湖キャンプ場にて)
もし「いちばん心に残る写真は?」と聞かれたら、きっとこの写真のことを話すでしょう。
今でも、あの時の情景がはっきりとよみがえります。
購入したばかりのキャンプ道具をバイクに積み込み、初めてのキャンプツーリングに出かけました。
行き先は、距離もさほど遠くない裏磐梯の曽原湖キャンプ場。
道具の重みで普段とは違うバイクの感触に不安を抱きながらも、ゆっくりと走らせて無事に到着。
テントを設営し、近くのコンビニで食事を購入し済ませてから、カメラを手に散策を始めました。
すると、ひとりの男性に声をかけられました。
おそらく50歳前後。私よりも高価そうなカメラとレンズ、三脚を携えていました。
知らない人に話しかけられ、内心は少し緊張していましたが、彼は笑顔でこう言いました。
「写真を撮るなら、あそこを撮るといいよ」
彼の顔ははっきりとは覚えていません。
しかし、穏やかで優しい笑顔だったのは確かです。
湖面に浮かぶ小さな島から伸びる複数の木々と、その水面への映り込み。
時間帯も相まって、その風景は幻想的な美しさを放っていました。
撮影を終えると、彼は「きれいに撮れたかい?」と尋ねました。
写真を見せると、「うん、きれいに撮れているね」と優しく答えてくれました。
彼がどこから来たのか、今何をしているのかはわかりません。
しかし、あの出来事は今も心に深く、優しく温かい記憶として残っています。
この記事を読んでいるあなたにも、きっと心に残る一枚の写真があると思います。
時間が経っても、ふとした瞬間に思い出す…そんな特別な一枚。
それは、あなたにとっての最高の一枚だと思います。
写真と現実の対比 白川湖の水没林にて
4月の後半、山形県飯豊町にある白川湖の水没林を訪れることにしました。
この時期、春の雪解け水が山から流れ込み、一帯が湖となる白川湖。
水面から顔を出すように立つヤナギたちが、まるで水の上を漂っているかのように見える。
そんな幻想的な風景が、わずか2か月間限定で姿を現します。
SNSや写真集で目にしてきた、水没林の美しい光景。
「これは絶対に一度見てみたい」と、期待を胸に現地へ向かいました。

ところが、いざ目の前に広がった光景を見たとき、ふと心の中に違和感が生まれました。
「あれ……思ったより、素朴だな」
写真で見たあの幻想感とは、少し違って感じられたのです。
誤解を恐れずに言えば、この水没林は、写真の中だからこそ幻想的に映るのかもしれない。
そう思いました。
写真だと、余計な情報がそぎ落とされ、ヤナギの姿だけが浮かび上がります。
構図、光、色彩。すべてが「見せたい美しさ」のために調整されている。
一方、実際の景色には、看板や人影、生活感のある物音も混ざっていて、よりリアルで、より地に足のついた風景がそこにありました。

それが悪いわけではありません。
むしろそこに、写真では伝えきれない本物の魅力があると感じました。
水面に映るヤナギの影。
やわらかな春の陽射し。
聞こえてくるのは、鳥の声と風の音だけ。
その空気の冷たさや、湿った土の匂い、足元の感触。
五感で味わう風景は、写真のそれとはまったく別物です。
確かに、写真で見たあの幻想感は、現実よりも美しかったかもしれない。
でも、実際にそこに立ったときに得られる感覚は、写真には写らない。
“その場にいること”でしか得られない感動が、確かにありました。
白川湖の水没林は、写真とは違った意味で心に残る場所です。
カメラに収まりきらない空気と気配を、ぜひ自分の目と心で確かめてみてください。
天鏡湖が教えてくれた考える旅
今回は、「いなわしろ新八景」の一つに選ばれている天鏡台(現:昭和の森)を訪れることにしました。
「天鏡」とは、天を映す大きな鏡のような湖という意味。
つまり、猪苗代湖の別名「天鏡湖」を一望できる展望台ということから、この名がついたといいます。
天鏡台一帯は、昭和天皇ご在位50年を記念して、昭和53年から55年にかけて整備された森林公園です。
その際に「天鏡台」から「昭和の森」へと名称が改められました

名前の由来や歴史を知った上で、期待を膨らませながら展望台に向かいました。
目の前に広がるのは、たしかに大きな猪苗代湖。
けれど……「天鏡」というには、やや物足りない眺めでした。
遠くの景色は霞んでいて、水面もどこかぼんやりしている。
少し拍子抜けしてしまったのは、正直なところです。

がっかり、という気持ちが心の隅に芽生えました。
でも、ふと考え直しました。
「今は、たまたまそういう季節なんだ。秋になれば、空気も澄んで、もっと違った景色が見えるはず」
そう思い直すことで、がっかり感は少しずつほどけていきました。
そして気づかされたのです。
目の前の景色にただ感動するだけでなく、そこにある背景や要因に目を向けること。
たとえ期待通りではなかったとしても、その理由や環境、季節の移ろいを想像することで、景色との向き合い方が変わっていく。
この日見たのは、いわゆる“絶景”ではなかったかもしれません。
けれどそこには、「感じたことを、じっくり考える」という旅の本質があったような気がします。
天鏡台で得たのは、思索という名の風景。
秋に、もう一度訪れてみよう。
今度は、また違った“鏡”が見えるかもしれない。
茅葺屋根の民家が残る小さな集落 奥会津・水引集落を訪ねて
福島県にある茅葺屋根の家屋と聞いて、まず思い浮かべるのは「大内宿」でしょうか?
あるいは「前沢曲家集落」でしょうか。
いずれも国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、全国的にも名の知れた観光地です。
しかし、観光地化されておらず、保存地区にすら選ばれていない茅葺の集落が、福島にはまだ残っています。
それが、奥会津の最奥部、栃木県との県境にほど近い場所にある「水引集落」です。

道中に目立った看板はなく、訪れてみるとそこにあるのは、ごく普通の、小さな山里
畑作業に励む人。
湧き水で洗い物をする人。
家の軒先には洗濯物が風に揺れていました。

それは、ただの日常。
でもその日常が、どこか懐かしく、心を惹きつけてやまないのです。
なぜでしょうか。
ただの生活風景なのに、ふと足を止めて見入ってしまうそんな場所。
秋には、外部からの参加者と集落の人々が一緒になって茅を刈り、屋根の維持を行うそうです。
かつて、明治時代の大火で一度全村が焼失し、現在の茅葺民家はその後に越後大工の手で再建されたものだといいます。
観光地でも、名所でもない。
でも、ここには“暮らし”があります。
秋になったら、もう一度訪れてみたい。
そう思わせてくれる、静かで温かな山里でした。
モネの「睡蓮」を思わせる湖 照南湖ビオパーク
福島県に、フランスの画家クロード・モネの名作「睡蓮」を連想させる湖があります
それが、旧国道115号線沿いに位置する「照南湖ビオパーク」です。
訪れてみると、周囲に人影はなく、まるで貸し切りの静寂。
穏やかに時間が流れる幻想的な景色が広がっていました。

風景をただ眺め、シャッターを切るたびに、まるで絵画を鑑賞しているかのような不思議な感覚に包まれます。

この場所は現在、ビオパークとして自然が保護されていますが、かつては昭和40年代初期まで天然のスケート場として親しまれていました。
その後、温暖化の影響で凍りにくくなり、長年放置されていたという歴史があります
昔も今も、人々の心を和ませる憩いの場。
そんな照南湖ビオパークに、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。。